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大阪高等裁判所 昭和35年(ネ)1360号 判決

理由

当裁判所は甲第一号証の本件手形は、訴外河本富治によつて無権限で被控訴会社代表者名義を冒用して作成せられたものと認定した。その理由は、原判決理由冒頭から原判決三枚目裏終から三行迄に記載するところと同一(但し偽造とあるを無権限で作成と訂正)であるから、ここに右記載を引用する。(省略)

控訴会社は、訴外河本富治は本件手形振出当時手形振出権限を有する被控訴会社の番頭または手代であつたものであり、仮に手形振出権限が制限せられていたとしても、その制限は商法第四三条第二項により善意の控訴会社に対抗できない旨主張するけれども、(証拠)によれば、本件手形を被控訴会社代表者名義を冒用して振出した訴外河本富治は昭和三二年初頭頃から同年八月一日まで被控訴会社に雇われ雑役に従事したもので、番頭手代と称するに足る職務担当者としては他に支配人中村秀世、会計杉岡正義がおり、河本自身はこれらの高級な職務は担当していなかつた事実が認められるのであつて、前記控訴会社の援用する証言や本人の供述及び甲第四号証の二によつても、右河本が当時の被控訴会社代表者松原弘の私宅建築につき個人松原のためにいくらかの用を弁ずるところのあつた事実の認められることは別とし、いまだ河本が被控訴会社の番頭手代として雇われていたという事実を認定することはできない。他に右事実を認めるに足る証拠もないから控訴会社の右主張は採用することができない。

次に控訴会社の表見代理の主張につき判断する。代理人が直接本人名をもつて署名するいわゆる署名代理による手形行為を有効な代理方式として、従来の判例はこれを認めている。そして右代理人に代理権がなかつた場合はすべて偽造であると解する立場があるとともに(この立場に立てば、手形の被偽造者といえども絶対に責任を負わないのではなく、この者に相当の帰責事由ありと評価される場合は、正当に外観を信頼した者に対し責任を負わねばならぬとして表見代理の規定の働く余地を認める。)他方においては署名代理という代理形式を認める以上は、かかる代理形式が無権限でとられた場合、すべて無権代理行為と見る立場もあり、いずれの立場に立つても表見代理の規定の適用または類推適用の有無を定めねばならぬという点においては軌を一にするのであるから、本件の場合に表見代理の規定が適用(または類推適用)せられるかどうかを考えてみよう。控訴会社が河本の本件手形振出行為につき民法第一一〇条または同条と同法第一一二条の適用があるとして主張する事実の要旨は、(一)河本は被控訴会社の対外関係一切を委任せられ、社長松原弘の私宅建設に際しては、その費用支払にあてられた会社名義の小切手約束手形による支払事務を会社を代理してなす権限を与えられていたこと(基本代理権)、(二)本件約束手形表面の被控訴会社の住所、社名及び取締役社長松原弘とある振出人記名部分のゴム印、社印、代表者名下印がそれぞれ被控訴会社使用のものなることは被控訴会社の認めるところであること、(三)本件手形よりも以前に昭和三二年七月二〇日頃を支払期日とする額面一〇〇万円の手形を工事代金として河本が被控訴会社名義で控訴人に振出交付したが、被控訴会社がその支払を認めてこれを同年八月三日同額の小切手と交換し右小切手は被控訴会社によつて同月五日現金と引換えられた事実のあること、(四)同月一〇日頃被控訴会社々長夫人禹点分が被控訴会社使用人中村秀世と河本とを帯同して被控訴会社と取引銀行との間の取引停止問題の善後処置につき控訴会社へ折衝に来た事実のあること等であるが、訴外河本は被控訴会社の雑役に従事していた者にすぎず、その雇傭関係も昭和三二年八月一日には終了していたものであり、被控訴会社を代理して対外関係の交渉一切を委任せられていたものでなく、手形小切手等の振出権限をも与えられていなかつたものであることは、前記被控訴会社援用にかかる各証人の証言からも明らかであつて、河本が被控訴会社社長松原弘個人の住宅建築につき同人を代理して請負人等と交渉する立場にあつたとしても、そのことから直に河本の被控訴会社を代理する権限を肯定することはできず結局控訴人主張の基本代理権は否定せられざるをえない。のみならず(証拠)を綜合すれば、昭和三二年四月二四日頃当時の被控訴会社々長松原弘が訴外大場主男をして私宅建築工事を代金三五〇万円で請負わしめ、内金一〇〇万円は契約と同時に支払つたこと、控訴会社は大場より右工事中ブロツク部分の下請け工事をなしたものであるが、河本から入手した被控訴会社振出し名義の金額一〇〇万円支払期日同年七月二〇日頃の約束手形を以て直接その頃被控訴会社に下請け工事代金の請求をしたこと、被控訴会社代表者松原弘においては右手形振出しには関与しておらず、振出人名下の印も同人が銀行との小切手取引に用いている印とは全く異なる印が用いられておるので右手形の支払を拒絶したこと、然るに控訴会社においては請負人大場を介し執拗に支払を迫つたので被控訴会社代表者松原においてはどうせ大場に対し同人個人の工事代金を支払うべき関係にあつたのであるから、大場に対する工事代金を支払う積りで八月三日に至り右手形を被控訴会社振出しの正規の印を用いた同額の小切手と交換し、更に同月五日右小切手を松原個人の出捐による現金と引換えたこと、なお右工事の請負代金は前記二口計金二〇〇万円の外同年七月一八日金三〇万円、八月三一日金三〇万円、八月一五日金一〇万円、九月一五日金三〇万円、九月三〇日金二〇万円いずれも大場主男に支払われていることの各事実を認定することができる。以上認定事実によれば、控訴会社は本来被控訴会社に対しては勿論その代表者松原個人に対しても、何等直接請負代金を請求しうべき立場に立つ者でなく、前記七月二〇日頃を支払期日とする手形の支払も、被控訴会社代表者松原から請負人大場に支払い、同人から控訴会社へ支払われるべきものを便宜大場への支払を省略して直接下請人の控訴会社へ支払われた関係にあるにすぎぬものであつて、その支払についても時日を要し、大場の了解の下に結末を見たものであり、その後の工事代金支払も大場宛になされているところからすれば、控訴会社は後に直接被控訴会社代表者松原との請負関係に入つたものとも認め難く、結局控訴会社は大場を介せずして被控訴会社よりは勿論、その代表者松原個人からも直接工事代金の支払を受くべき関係になく、以上認定の諸事実より考察して控訴会社は河本より本件手形の振出しを受けた当時(手形が現実に振出されたのはその振出日付より後と認められること前叙の通り。)到底河本に被控訴会社を代理して手形を振出す権限のあることを信ずべき情況ではない。よつて控訴人の表見代理に関する主張はいずれも採用し難い。

してみれば、被控訴会社には訴外河本が無断で振出した本件手形金の支払義務のないことは当然であつて、控訴人の本訴請求は理由なくこれを棄却した原判決は正当……。

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